たまには、ちょっと堅い話で頭の体操でもいかが。
私の勤めている会社には社内ブログがあるのだが、先日そこに「リスクとは?」という書き込みがされた。社内ブログなのでその内容は事業企画関連のものだったのだが、このテーマは一般的な生活にも関連付けて考えることもできると思ったので、私の個人ブログにも載せることにした。勿論、内容の詳細は書かないが。
上記の書き込みでは、全く新たな事を始めようとしたとき、人にはその思考手法において二つのグループがあり、一つは「なぜそんなことが出来るのか?」ということの解明に重きを置くグループ、他方は「どうやったらそれを実現できるのか?」ということを導き出すことに重きを置くグループに分かれるということが書かれ、これに絡めて、リスクへの考え方が述べられている。
内容の全てを書くと長くなるので、私なりの理解でその論点だけをまとめると:
リスク対応に終始するより、「どうやったらそれを実現できるか」の方が前向きで優れている
ということが書かれていると思っている。
皆さんもどちらが多いかといえば、このような考え方に出会うことの方が多いのではないか。しかし、「ちょっとまて、それで良いのか」「確かに進歩的であり格好は良いが」と、私はそのような場面に出会うといつも同じ違和感を抱いている。皆さんはいかがだろうか。
下記の文章は上記社内ブログへのコメントとして私が書き込んだものだ。
************************************
どんな手法をとろうとも、リスクは所詮完全には除去できるものではなく、私としては、リスクについてのポイントは「無くす事を考えること」ではなく、「気付くこと」にあると思っている。
さて、「何故出来るのか?」と「どうやったらできるのか?」について考えること、これらはどちらが有意義なのか? 私はどちらも有意義だと思っている。一方が優れているというものではないと考える。なぜなら、これらは元来同じ次元のものであって、比較するべきものではない、つまり軸の方向が違うだけで分離できないものだと思っている。したがって、思考の過程で一方が必要なときもあれば他方が、もしくは双方が必要な時も当然あるはず。
「何故出来るのか?」これは過去の確認を行っているのであり、つまり今までの事実の再確認に主眼が置かれている。一方、「どうやったらできるのか?」これは将来の活動を考えている、つまり未来を創ることに主眼が置かれている。このように両者は全く軸の方向が違うのだ。
両者は軸の方向は違うものの、時間軸という意味では一本の軸上にあるわけで、他方を無視しての活動では、それこそリスク甚大ということになると思う。
ということで、実際に大事なことは、バランス感覚を失わないことだと考えている。
************************************
最近のコメント